参号雑記 : 仕事とは。

sangou

sangou

皆さんこんにちわ。
ご無沙汰です。

初めての皆さんどうも。
菊田参号といいます。

貯めていた仕事のアップ完了。
やはり、仕事が立て続けにずっとあると息をつく暇もないというか。
ブログすらろくに更新できないものだねw

久しぶりなので文章でも。

最近うちの部下に聞かれたこと。
「参号さんにとって仕事とはなんですか?」

うーむ。
なんだろーか。
その場では適当に答えたのだが、ちょっと面白いテーマだな、と思ったので、
少しだけ真面目に書いてみようかと思う。

仕事。
僕は仕事人であると思う。
仕事が趣味?
いや、仕事は仕事。
趣味とは違うな。
しかし、四六時中仕事をしている気がする。
「そんなに仕事をしていて楽しいの?」と、よく言われることがある。
それが、実に楽しい。
そうなのだ。
仕事が好きなのだ。
好きなことが仕事なのだ。
仕事自体ということもそうだが。
仕事の内容である「モノづくり」が好きなのだ。
デザインすることもディレクションすることも。

好きなことが仕事になっている。
これは、素晴らしいことだと思う。
楽しいし。
誇らしくもある。

そして、なにより。
「自由」であることが楽しい。

僕は縛られることが嫌いだ。
10代の頃から「自由」が欲しかった。
モノをつくるというのなら、なおさらそう思う。
音楽でもデザインでも絵でも。
9:00〜17:00の間で作るとか。
そんな制限があっては面白いものなんか生まれないと思っている。

だから自分で仕事を始めた。
そして、いまは「自由」が近くにある。
それが嬉しいし楽しい。

しかし。
「だからみんな好きなことを仕事にしたらいいのに。」とは思わない。
むしろ、「止めたほうがいいぞ!」とさえ思う。
強く思う。

何故か。
それは、「好きなことをやり続ける」ということは、果てしなくしんどいことでもあるからだ。

好きなことをしているのは楽しい。
それは、もちろんだ。
何が辛いのか。
シンドイのか。

それは、「人を納得させ続けなければならない」ということ。
「自由」でいるためには、大いなる「責任」を果たさなければ成り立たない。

好きなことを仕事にするということは。
好きなことでプロになるということだ。

どーゆーことかといえば。
「好き」だけでは、お金は得られない。
お金が得られなければ、活動は終わってしまう。

何事もそうだが。
「続けること」「やめないこと」これが何よりも難しい。
「活動し続けること」これが至極難しいのだ。
活動への熱意・情熱はもちろん。
資金やスケジュール、うんぬんかんぬん。

とにかく弊害は起きる。
妨害にもあう。
「好き」ということで、全てが上手くいく訳はない。

その中で。
わかりやすい事でいえば、まず「お金」という評価を得なければならない。
お金になっていることが全てではないが、お金になっていなければ、それは評価に値しない。
なぜなら、続かないからだ。
その活動自体が。
終わってしまっては意味がないのだ。
お金が動くから「仕事」であり「プロ」であるのだ。

「アマチュア」ならばいい。
つまり、「趣味」ならばいい。
「遊び」ならいい。

しかし。
それを「仕事」と呼ぶなら。
「ビジネス」と言うなら。
「プロフェッショナル」を謳うならば。

そこには「お金」が動いていなければならない。
それが、「仕事」を名乗る「責任」だと、僕は考える。
それではじめてその活動は「仕事」になるのだと思う。

やっていることがいかに稚拙でも、くだらなくあってもいいと思う。
遊んでいるように見えようが、そこに「お金」という血流が流れているのなら。
それは「仕事」であると言える。
「プロ」であると思う。

僕は「プロの人」が好きだ。
面白い。
いかに人格が破綻していようとも。
おかしな言動しか持っていなくても。
プロとして通用している人は。
「責任」を果たす。
必ず。

そして、「プロ」を謳っているにもかかわらず。
「責任」を果たすことができない奴らは。
去っていく。

分かりやすいものなのだ。
「覚悟」を持っている人間は。
「責任」を理解している人間は。
本物の「自由」を知っている人間は。
人に対しての「義」をもってして「礼」を尽くす。

口先ばかりで「覚悟」もなく、
「自由」を勘違いして、
「責任」を取ることもできない、
そのくせ「自由」ばかりを主張する。
そーゆー愚か者が、残念ながら非常に多い。

調子にのった勘違いのクズ。
こういった奴に限って、周りの交友関係を自慢したり、
やりもしていない仕事を吹聴して回ったり。
虎の威を狩る狐、というやつな訳だが。

愚か者はこの業界にもたーくさんいるが。
やはり通用しない。
消えていく。
活動が、終わってしまうんだね、やっぱり。

なぜか。
僕はやはり「勘違い」しているからだと思う。
「自分が!」となってしまうとね、「他人」をないがしろにしてしまう。
助けてもらっているにもかかわらず、立ち位置を勘違いしているために、見下してしまったり。
そんなことをしていたら、そのうち誰にも協力してもらえなくなる。
海外ではどうなのかは知らないが、ここは日本。
「義」も「礼」もつくせない奴に、プロを名乗る資格はないと僕は考える。
それでは「責任」を果たすことは難しいと思うのだ。

つまり、その「責任」を果たしていくことこそが。
「好きなことを仕事にする」上で、最も難しい要因と言えると思う。

色々書いてきたが、単純に言えば。
楽しそうに見えるかもしれないけど、全く楽じゃないよ?って事。
好きなことを仕事にするということは、
それはそれは大変で、通常の仕事の何倍もハードルが高い上に、全然甘くない。
だから、僕は人にはオススメしない。

「そんな覚悟じゃ通用しないよ?」
そーゆー気持ちだ。
憧れだけでは通用しないのだ。

僕の会社には、出社時間というものは無い。
いつ来てもいいし。
むしろ来なくてもいい。
仕事が回ってさえいるのなら。
何をしていたって構わない。
その「責任」を果たしているのなら、社員は皆「自由」だ。
ただ、その「責任」を果たすというのは、並大抵のことではないということ。
「好きにやっていいよ」という言葉は、むしろ重いということなのだ。

ちなみに僕の会社の社是はこんな感じ。

image

部下がよく言ってくる言葉がある。
「頑張ります!!!!!!!!!!!!!」
そーゆーときは決まってこう言う。
「頑張らなくていいよ。結果だけ出してくれれば。」
そーなのだ。
同じ結果ならば、むしろ「頑張らずに効率的に」結果までたどり着けばいい。

頑張って頑張って頑張って、そして失敗したのでは意味がない。
それで「頑張った」だの「よくやった」だの。
それは、プロではないのだ。
そんな「不幸自慢」には僕は興味はない。
聞くだけで反吐が出る。

僕はやっていて楽しい。
が、やはりそんなに甘い世界じゃないと思う。
僕自身、どこかで気を抜いて、慢心しようもんなら。
きっと蹴落とされる。
そういった危機感は常に側に置いてあるのだ。

「覚悟」と「勇気」をもってして、「責任」を果たして「自由」を得る。
それが「人を納得させる」ということに直結するのだと、僕は思う。

もう一度。
「自由」を行使するならば大いなる「責任」を果たさなければならない。
本物の自由は、そんなに甘いもんじゃないみたいなんだ。

だから、僕はオススメしない。
堅実にいい会社に入って真面目に働く。
これが一番だ!w

僕にとっての仕事。
それはライフワーク、ということなのかもしれないな。
生きるために仕事が必要で、その仕事をもってして「自由」を得ている。
んー。
それが、僕にとっての「仕事」。

僕にとっての「自由」というのは、「暇がたくさんあること」ではない。
「気持ちの余裕があること」なのかな。
実際身体も時間も仕事に埋まって余裕はない。
が、その実、気持ちはやはり楽しいし気持ちいい。
自由を感じることが出来る気持ち。
それが、僕にとっての自由であると言える。

長々と書いてきたが、そんなことを思って仕事と向きあっている。

最後に、
僕がここまで言っても「好きなことを仕事にしたい」と考えている残念な人にアドバイス。
簡単なやつね。

「できることをできるだけやる。」
まずはこれだけやってみるといい。

これは僕も師匠から頂いた言葉。
ずっと大事にしている言葉。

できないことをやるから失敗する。
つまり、まずは自分を知ること。
「能力を見極める」ということが大事。
自分に何ができるのかを知って、その内のできることをできるだけやる。

それを繰り返し繰り返しやっていくのだ。
そうして一歩一歩進んでいく。
一歩進むたびに「できること」の枠は広がるから。
ちょっとずつちょっとずつ広げていくんだ。
それを繰り返しているうちに、できることの枠はだいぶ大きくなっているはず。

能力を過信してはいけない。
勘違いもだめだ。
「自分はできる!」なんて、それは希望に過ぎない。
やりたいことだとしても。
能力がなければできないのだから。
まずは自分の能力を見極める。
自分を知ることから始めると良い。

何ができるのか。
それでプロと言えるのか。

まずはそこから。

僕もまたそこからやってみようと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です